1226年10月3日、フランシスコが帰天すると、生前から聖人のように見られていた彼に対して、すぐに列聖に向けた動きが始まって行きます。そうした中で、フランシスコの生涯を記した最初の伝記は書かれました。
フランシスコ会員チェラノのトマスによって、1228年、フランシスコの死後、わずか2年足らずで最初の伝記が成立しています。「チェラノの第一伝記」と呼ばれています。
やがて会は兄弟達の間にあるフランシスコの伝承を集めチェラノのトマスに託して第一伝記を補完する第二伝記の執筆を依頼します。その時集められた伝承の中に1244−6年頃書かれたと思われる「三人の伴侶による伝記」もありました。三人とは、フランシスコと共にいた初期の頃からの兄弟であるレオ、ルフィーノ、アンジェロのことですが、冒頭の三人の名前の手紙からこの名が記されています。しかし、手紙と本文とは関係なく、手紙部分は後に権威づけのために冒頭に置かれたものと考えられています。著者については様々な説があります。アッシジの市民に伝わっていた伝承ではないかとも言われています。13世紀後半に最後の数章が加わり、さらに冒頭部分に三人の伴侶の手紙がつけられ現在の形に編纂されたと考えられています。
1247年、チェラノのトマスは上記の「三人の伴侶」などの集められた資料を使い第一伝記を補完する第二伝記を著します。
その後、様々なフランシスコ伝が出回り、それぞれが真のフランシスコ像を主張し議論し始めます。さらにスピリチュアル派、ヨアキム主義などの中には極端な改革者も現れるにおよんで、ますます混乱してゆきました。その事態を収拾するためパリ大学のボナヴェントゥラがフランシスコ会の総長となり、1263年自ら会の公式伝記を執筆します。それが『大伝記』と呼ばれるものです。そこには神学者であるボナヴェントゥラによって神学的な解釈を施されたフランシスコが描かれています。また、一時、『大伝記』以外の全ての伝記の破棄を命じたため、この時、貴重な多くの伝記が失われたとも言われています。
ところが、チェラノのトマスが第二伝記執筆に当たって集められた兄弟達の証言は、伝記とは見なされず破棄を免れ、この資料をもとに、公式伝記では伝えきれないフランシスコの人となりやその初期の頃の兄弟達の生活が描かれた聖フランシスコの伝記が再び書かれて行きます。このようにして1318年『完徳の鑑』が1330年頃には『小さき花』が成立しました。特に『小さき花』は最もポピュラーなフランシスコの伝記として知られており、日本でも数多くの翻訳がされています。
『小さき花』は多くの日本語訳の本が出版されています。本会の関係では光明社から出版されたものや、石井健吾師の訳であかし書房と聖母の騎士社から『聖フランシスコの小さき花』としてそれぞれ出版されたものがあります。他にも田辺保氏訳:教文館、永野藤夫氏訳:サンパウロなど。